しなやかに、たおやかに、生きていく

多分アダルトチルドレン。自分の人生を取り戻す為の記憶と記録。

小さい私がしてほしかったこと

ことあるごとに母親から、何気なく「手がかからない子でとっても楽だ(楽だった)」と言われてきた。

 

私はその度に誇らしかったし、母も褒めてくれていたのだと思う。

私は聞き分けが良く、お利口なところが私の良いところなんだと思った。

 

3つ上の兄と1つ下の妹に挟まれて、割と普通の家庭で育ったと思っているし、裕福ではなかったけど、確かに愛情を持って育てられたということは頭では分かっている。

 

分かっているのに、分かっているからこそ、こんなもやもやした気持ちになるのはダメだ、世界にはもっと貧しい人たちもいるし、暴力を振るわれたり、捨てられてしまった人もいる、こんな気持ちは贅沢だと思うようになっていたのかもしれない。

 

大人になってからも、色んなことで、無意識に「こうあるべき、これが良い自分」という呪いに苦しむようになった。早く色んなことが大丈夫になりたい。自分で自分にOKを出せるようになりたい。

 

 

 

 

私のアルバムだけ1冊なのが寂しかった。

兄はたしか3冊、妹は2冊ある。

 

兄は初めての子で、私とも少し歳が離れているので多いのは分かる。

けど妹は私より後に産まれたのに私より多いのが悲しかった。

 

平等にしてほしかった。

 

今となっては愛情の差ではないのも分かっているけど、その時は「なんで私だけ・・・」と悲しかった。

 

よく熱を出す子どもだった。

喘息やアトピー、アレルギーもあり、ある程度育つまで本当に大変だったと思う。

 

3~4歳くらいの頃だっただろうか、気持ちが悪くて、それを母に伝えようと、

 

「車に酔った感じがする」

 

と訴えたが、ちゃんと伝えられなかったのか、母も疲れていたのか、その時は「気のせいじゃない?」みたいな感じで雑に扱われた記憶が強く残っている。

母はダイニングテーブルで何か読み書きしていた気がする。あまりこちらを見ずに受け答えされた記憶がある。

(結局その後吐いてしまい、すぐに病院に連れて行ってもらった。)

 

小さい私はもっと気にしてほしかったし、その時心配してほしかった。

こういうのがたくさんある。

 

たくさん積み重なって、間違った価値観が作られてしまったのかな。

 

もちろん付きっ切りで看病してもらった記憶もある。

多分もう少し大きくなってからだけど、寒気が治まらない時、母は一緒に寝て、私の冷たい手を自分のお腹に当てて温めてくれたり、吐いている私の背中をさすってくれたりした。

 

たくさん感謝もあるからこそ苦しい。

 

わがままかもしれないけど、もっと尊重してほしかった。

 

もやもやはいつも感謝の気持ちと苦しい記憶の間で生まれてきて、胸のあたりでもぞもぞ動いたり、お腹のあたりに移動したり、気持ちを攻撃してきたりする。

 

大人になって、そういう気持ちと上手く付き合えていると思っていたけど、見て見ぬふりをしていただけだったのかな。

 

記憶を辿って悲しい気持ちを見つけたら、また寄り添ってあげようと思う。