しなやかに、たおやかに、生きていく

多分アダルトチルドレン。自分の人生を取り戻す為の記憶と記録。

親を恨んでいる

※最後は前向きに終わるけど全体的に暗いです。気持ちが沈んでいる人やネガティブに触れたくない方は読まない方が良いかもしれません。私の心の為に書いています。

 

 

三十数年間心に蓄積したどす黒い感情やもやもやを出しても大丈夫なんだという人が現れて、私は小さい頃の私を救ってあげられそうだけど、親(特に母親)への怒りや恨み、疑問はまだ浄化できないし、これから先も記憶を喪失しない限り持ち続けるのかと思うと何とも言えない気持ちになる。

 

悲しいのと苦しいのと寂しいのと、家族で助け合って生きてきた人が心底羨ましいのと、「なんでうちはこうなんだろう、なんで両親は結婚したんだろう、なんで子どもなんて作ったんだろう、なんでもっと助け合わなかったんだろう、なんで気持ちの自由を許してくれなかったんだろう」という気持ち。

 

ここ数週間でたくさん話してたくさん泣いて調べて考えて、自分自身と小さい頃の私にようやく「頑張って生きてきたね、大変だったね、辛かったね、たくさん我慢してきたね」という言葉をかけてあげられて、好きな音楽を聴いたり、好きなことをして、自分で決めて、眠くなったら寝て、心のデトックスをたくさんしたと思うけど、やっぱりまだふとした時に感情が溢れて泣いてしまう。

 

 

《恨みと嫌だったこと》

 

  • 「これをやってみたい!習いたい!」という気持ちをめちゃくちゃな理由で踏み潰されたこと。(それは老人がやる習い事だからとか、女の子だから駄目と言われた。同年代の子や友達はやっていたのに。意味わかんないし、子どもだからすぐ忘れるだろうと思っていたのかわかんないけど、今考えてもおかしい。お金がないにしても、もっと納得できる断り方をしてほしかったし、気持ちを分かってほしかった。)
  • 反対に、したくもなかった習い事を騙されて始めたこと。(今となっては習っていて良かったと思うけど、始まりが嫌だった。今日1回だけだから体験レッスンしてみようと言われ承諾したけど、翌週から当たり前のように続いた。中学生になり、ほんの少し自己表現できるようになったときに辞めたいと言えて辞めた。辞めてからの方が楽しかったし、進んで練習できた。)
  • なんでも母の価値観で決めつけられたこと。(Mステ等の音楽番組は「うるさい」と言われ、見るとあからさまに不機嫌な態度を取られた。アニメや漫画は母が良しとしたものしか見せてもらえなかった。しかもクレヨンしんちゃんは良くてドラえもんはダメだった。今考えても、内容からしたら普通逆だろうと思うし、ドラえもんは「すぐ人を頼る人に育つからダメ」と言われた。後になってから、しんちゃんの作者の宗教と母が信仰している宗教が同じと知った。気持ち悪い価値観。)
  • その宗教の勉強をさせられたこと。(これは本当に最悪。中学の時、2カ月くらい学校に行けなくなり、心が弱り切っている時にやらされた。母はその宗教を信じ込んでいるから、きっとよかれと思ってやらせたのかもしれないけど、本当に本っ当に気持ち悪い。嫌だった。けど嫌だと言えなかったのが悔しい。自分を守ってあげられなかった。)※何かの宗教を信仰している人に対して気持ち悪いと言っている訳ではなく、それを子どもに信仰させようとすることが気持ち悪い。また、それ以外の宗教に対しての敵対心が強すぎるのも気持ちが悪い。母と同じように別の宗教を信仰している人がきっといるだろうし、宗教に限らず悪い人は悪いし良い人は良い(と私は思っている)から、自分と違う価値観を理解しようとしていないスタンスが嫌だった。今でも嫌だ。
  • 仲が良かった友達のお母さんや、大好きだったおばあちゃん、いとこのお母さん、自分の父(母からしたら夫)の悪口を私に話さないでほしかった。母が嫌いな人(やその子ども)と仲良くしてはいけないのかもしれない、母が悲しむかもしれないと無意識に思うようになっていた。うまく言えないけど。もやもやが溜まっていった。
  • 両親が喧嘩をしているところは見たことがないけど、特別仲が良い訳じゃなく、父は母(や子ども?)に無関心、母は父に金銭的には感謝はしつつも失望?しているように感じることがあった。親同士でもっとコミュニケーションが取れていれば、私に愚痴を言ってくることはなかったかもしれないのに。もっと助け合ってほしかった。
  • 母に過干渉をやめてほしかった。(自分だけのプライベートな空間がなかった。プライバシーがなかった。ノックして入ってきてと言っても聞いてくれなかったし、見ないでと言った引き出しの中を見られていた。気持ち悪い。心配してくれていたのは分かっているけど、信用されていないんだと思って悲しかったのかもしれない。もっと仲良く話したかった。母親と仲が良い友達が羨ましかった。彼氏ができると尋問されて、誰とどこで遊ぶか、何時に帰ってくるかを事細かく聞かれ、より過干渉になった。早く自立して家を出たかったから、大学で英語を学びたかったけど2年制の専門学校に行った。)

 

もっと私のことを尊重してほしかった。

一人の人間として接してほしかった。

価値観を押し付けないでほしかった。

 

みんなそれぞれ何かしら抱えて生きてきているというのは承知の上だけど、他人の芝生はどうしても青く見えてしまう。

 

自分の家は機能不全家族だ、私はアダルトチルドレンだと認めたくなくて大丈夫なふりをして生きてきた感じがするけど(認めたら親の育て方を否定している感じがするし、親に否定されて悲しい思い出がたくさんあるから、親を否定したくなかったんだと思う)、世の中8割は機能不全家族というデータもあるらしいから、そういう家庭に生まれてしまってしゃーないと思えるようになればいいな。

 

本当に頑張って生きてきた。他人を優先して生きてきたから、これからはもう少し自分の気持ちに正直に生きてく。

 

色々調べたり、簡単なテスト?をしてみて、私はACの中のロストワンとプラケーターだと思うから、もっとインナーチャイルドを知って、ねじまがった価値観を上書きしてあげて、素敵な人間になるんだ。(ACは6種類あるって知らなかったし、このタイプはこういうことしたら良いとか改善策もすぐ調べられて、今はYouTubeとかネットの情報がたくさんあるから有難い・・・!)

 

私は幸い生涯を共にしたいと思える人が見つかって、幸いその人も同じ気持ちになってくれて、私と家のことを理解してくれて、誰にも言えなかった話を誰よりも聞いてくれて、「自分はこれで良いのだ」と思えたから、早くもっともっと大丈夫になって、これからは自分の人生をちゃんと歩きたい。

 

そういう前向きになってきた気持ちに、過去の柵がゾンビのべたべたの手でしがみつかれるみたいにまとわりついていて、今はそれを一つ一つ剥がしていっているような感覚だな。

 

長い年月をかけて作られたごみ屋敷を少しずつ片付けていると思おう。

ほどよくがんばろう。

 

わたしはわたしのままで良い。